今求められる最適なシステムとは何か?
経営の視点を持ちながら新たな開発に挑む。

海外経験を通じて知った異なる価値観や文化に
入っていくことのおもしろさ。
中学生の時に家族旅行で初めて欧州を訪ね、そこに広がっているそれまでまったく知らなかった世界に衝撃を覚えました。以来、海外に出たいという気持ちが募り、高校時代には交換留学で1年間ホームステイを体験。今でも忘れられないのは、留学生ということでちやほやされるかな、と思っていたものの、まったく珍しい存在ではなく、ほったらかしにされてどん底を味わったことです。自ら行動にでないと何も進展しないんだな、というのはそのときの大きな学びで、それ以降、自発的・積極的になれた気がしています。
留学を通して、価値観や文化の違う世界に入っていくことのおもしろさにさらにのめり込み、大学時代はアルバイトでお金を貯めては海外旅行に出かけていました。
就職時も海外と接点のある企業に的を絞り、メーカーや航空、商社、金融などを見ていましたが、グローバルに事業を展開し、さまざまな業種・企業との接点もある当行で働くことに魅力を感じました。当時はまだ、システムの世界で働こうと決めていたわけではありません。しかし、入行してすぐの営業店業務の中で、空気のように存在しながら膨大な事務を支える銀行システムの役割の大きさに気づきました。しかも、すぐそばに使ってくれる人がいて反応があり、形ある物として残していくこともできる、システム部で仕事をしたいと、すぐに心は決まりました。

自分が構想し、設計したものができあがっていく。
ものづくりはエキサイティングだった。
システム部では海外勘定系システムを保守・開発するチームに入りました。中国の小口決済システムの開発やマニラ支店への新勘定システム導入など、さまざまなプロジェクトを担いましたが、着任2年目にリーダーとして担当したマレーシア現地法人における預金プーリング(※)機能の新規開発は最も思い出深い仕事です。
要望のヒアリングに始まり、システム化の計画立案、開発、実装、テスト、そしてリリースまで、自分自身がキーパーソンとしてプロジェクトの全工程に関わったことは非常にエキサイティングで、これぞシステム開発の醍醐味だと感じました。設計書に上司の赤字が大量に入ったり、どのようなテスト計画であれば効率的かつ網羅的に検証できるかと悩んだり、苦労する場面も多かったのですが、間違いなく自分の成長につながる経験でした。
その後も国内で海外案件に携わり、2012年に米州システム室に異動しました。
着任後間もなく勘定系システムの更改という非常に大きなプロジェクトが立ち上がり、私は貿易取引を司る外部パッケージシステムの導入案件のプロジェクトマネージャーを担いました。日米間の意思疎通は、主に電話会議を中心に進めたのですが、しかしそれがうまくいかないという事態に直面しました。東京が「こういうことが当然必要だ」と思っていることについて、米国側は「何でそんなことをするんだ?」と疑問に思ってしまうのです。「オヤマダサン、トーキョーは何を考えているんだ?」――会議終了後、しばしば尋ねられました。背後には日米間の設計哲学の違いがあるのです。東京側には入念な事前検討を行いリワークがでないようにしながら一歩ずつ積み上げていく傾向がある一方、米国側はスピード重視でまずやってみる、問題があればそこで対処するという考え方なのです。双方の違いを意識しながら互いに妥協できる点を探し、前進させるということが一番難しく、同時にそれが仕事のやりがいにもつながりました。両者ともにプロジェクトを成功裏に収めたいという最終ゴールは同じにしているので、東京のマインドを持ちつつ現地の考えていることも理解し調整する、そこが合致すれば大きな力が出るのです。チャレンジングであったけれども、学ぶことの多い取り組みでした。
※プーリング(Pooling):お客さまが保有する複数の口座の残高を一日の終わりに代表口座に吸い上げる仕組み。
カーネギーメロン大学院へ1年半留学。
ビジネスの視点でシステム開発を学ぶ。
2016年から1年半、カーネギーメロン大学院への留学チャンスを得ました。人事部からの指名は晴天の霹靂でしたが、自分のキャリア形成において、望んでもなかなか得られないチャンスです。ありがたいという気持ちでした。いったん前線を離れ、世界各国から集まった若く優秀な学生と机を並べて(私はすでに入行後10年以上経過しており、彼らからは一回り上の「おじさん」でしたが)、プログラミングやデータベースを始めとしたコンピューターサイエンスや、統計学や組織論といった経営に関することがらを学びました。今まで現場でやってきたことを学問的に整理し、ビジネスの視点からシステム開発を見直すことができたことは非常に有意義でした。また、学生とタッグを組み、グループワークを実施する機会も数多くありました(ここでは社会人として先輩である私がマネジメント力を発揮しました)。バックグラウンドが異なるメンバーと目的をひとつにして作業するという経験は、現在の海外ベンダーとの協働にも大いに役だっています。
今求められるビジネスとシステムの融合。
数十年に一度の変革期に挑む。
4年間の米国勤務、1年半の大学院生活を終え、私は2019年に本社の国際事務企画部に帰任。これまで一貫してシステムの開発側で仕事をしてきましたが、今度はビジネスサイドからプロジェクトに参画することになりました。
まず取り組んだのが海外勘定系システムの更改プロジェクトです。従前の自前システム導入方式から外部パッケージ導入へと舵を切り、コスト圧縮を柱の一つにして推進するという意欲的な取り組みでした。
あらゆるニーズを網羅し、完璧に組み込んだシステムが、経営上でも最適なシステムであるとは限りません。ユーザーのニーズを先取りするシステム開発を継続していくことは、高コスト体質から抜け出せないということでもあります。すでに海外の金融機関は基幹システムにパッケージを活用しており、これは世界の大きな流れです。経営が“攻め”に転じるためのシステム導入もあるのだと感じました。
明らかに今、システム開発の考え方は数十年に一度といってもいい転換期にあります。従来の延長線で答えは出ません。海外勤務や経営に関する学びを活かし、システムと経営の2つの視点を自分の強みにして、この転換期を勝ち抜くために貢献したいと思っています。