2009
システム部
営業担当者が使うシステムの開発部署に配属され、ものづくりの基礎を一から学びました。営業研修時に抱いた「より効率的で使いやすいシステムを作って、営業店の皆さんの役に立ちたい」という思いが叶いました。
2012
システム部
今では当たり前になっている、営業担当者向けタブレット端末アプリケーションの開発プロジェクトにリーダーとして参画。外出先でお客さま情報にアクセスする上での様々なリスクを一つひとつ解決。信念を持って取り組みを継続する大切さを感じました。
2014
三菱UFJインフォメーションテクノロジー出向
通算6年、タイのアユタヤ銀行とのシステム開発プロジェクトを推進。それまでの常識が全く通用せずに苦労しましたが、直接会って協議・検討することにより物事を進められると実感。アメリカのMUFG Union BANKとのプロジェクトにも参画しました。
2020
MUFG Union BANK N.A.(出向)
本邦と米国の橋渡し役として、協働プロジェクト推進を担当。米国メンバーが推進するプロジェクトを円滑に進めるため、本邦との協働が必要な業務を、これまでに培ったノウハウを活かしてサポートしています。

海外拠点で得られる知見とスキルを
新たな成長の糧にしたい。

馬場 裕人
01.「多くの人の役に立つ仕事」を探して出会った
銀行のシステム開発という仕事。
学生時代は自治会に所属し、新入生が楽しく、充実した大学生活を送れるよう、履修登録方法の説明や各種懇親会の企画・運営をしていました。プライベートな時間も割いて準備し、活動していたため大変でしたが、たくさんの感謝の言葉があり、当時の自治会メンバーや新入生とは今でも交流が続くなど、かけがえのない経験になっています。
就職活動でも「多くの人の役に立つ仕事」に就きたいと考え、加えて「グローバルに活躍できる」「スキルアップができる」という点を意識しました。グローバルも大きなテーマだったんです。実は大学では英米文学を専攻していたのですが、理由は英語が苦手だったから。だからこそそれを克服して、英語の教師になろうと思っていました。入学後、教師になるという方針は自分の中で取り下げることになりましたが、英語は自分を変えるために挑戦してきたものであり、社会人になってもそれが活かせる環境がほしいと思っていたのです。
会社説明会で当行のシステム部門の人に話を聞いたとき、自分の3つの希望に合うと感じました。それだけではなく、自社のシステム開発を担当するのでユーザーとの距離が近く、ダイレクトな反応が得られること。さらにシステム開発未経験でも大丈夫と聞いて、入行を決意しました。
02.お客さま先で使うタブレット端末アプリケーションを開発
プロジェクト断念の危機を乗り越えてリリース。
半年間の営業店研修を経て、営業担当者が使う情報システムの開発部署に着任しました。当初の3年間は先輩の下でシステム開発を担い、4年目にお客さま先で使うタブレット端末アプリケーションから社内システムに情報を連携させるプロジェクトで基礎検討、基本設計のリーダーを任されました。
当時、現場での打ち合わせ時にお客さまが別の商品を望まれた場合、いったん会社に戻って改めて提案を準備する必要がありました。しかし、これでは時間がかかりすぎます。一定の情報をタブレットに呼び出せるようにしておけば、その場で再提案ができる。ただし、当時は行員がお客さまの情報に社外からアクセスする先行事例はなく「タブレットに情報を引き出すなんてあり得ない」「端末をなくしたらどうするの?」と慎重な意見が続出。一時は、プロジェクト断念の危機に陥りました。

どういう形でどこまでの情報を引き出せば安全でかつ役に立つものになるのか、セキュリティ対策をどうするか――社内外の関係者と協議し、考えに考え抜いてあらゆるリスクへの対応策を練りあげ、無事に基本設計まで完了させ次のステップに送り出すことができました。余談ですが、その対策案の中には、私が必死に考えた非常時の自動データ消去の仕組みもあります。世の中に類似のものはなく、社内でも高評価で、「特許を取ろう」ということになりました。実際、発案者として私の名前が掲げられた特許になっています。結局、タブレットには実装されなかったのですが、いい記念になりました。私の個人名でネット検索するとすぐ出てくるので「ほらね」と時々話の種にしています(笑)。
サービスがリリースされる時は担当を離れていましたが、同期入行の営業担当者から「大いに使っている。お客さまの評判もいい」という声を聞くことができ、頑張った甲斐があったと感じました。1つのシステムが業務改善に大きく貢献できるということも実感でき、システム部門の人間として確かな自信を得た取り組みでした。
03.異なる言語、文化をもつメンバーが
力を合わせて進む醍醐味。
私が初めて担当した海外案件は、タイのアユタヤ銀行との間で進めた情報連携のためのシステム開発です。タイのシステムから毎日決まった時間にデータを送ってもらうことを前提に構築したのですが、開発の終盤で、データがどうしても時間内に届かないことが判明しました。これでは使い物になりません。なぜそれほど時間がかかってしまうのか。原因は、私が担当したタイのシステムではなく、タイのシステムにデータを提供している、より上流の約20システムとの連携にあると判明しました。タイ内部の問題だったのです。私は先輩と共にタイに出張。こういう対策を打ったらどうですかと、上流のマネジメント層に進言しました。その後も、問題が発生するたびに分析と解決策の提案を重ね、その都度改善活動を進めてもらいました。その結果、何とか当初想定した時間内にデータが届くようになり、無事システムの運用を開始することができました。

とにかくこの時は粘りました。何としても問題を解決するという気持ちを持ち続け、関係者と協力して対応したことで乗り越えられたと思います。タイ出張も10数回を数え、実家に帰るより頻繁でした。違う言語や文化をもち、システム開発のルールも進め方も異なるメンバーとの仕事です。こちらが当たり前と思っていても、通じないことがいくらでもある。なぜ、何のためにこの作業が必要なのか。一つひとつ丁寧に説き続けました。
最後のタイ出張で、私はプロジェクト成功祈願に御守りを持って行き、日本の風習を説明しました。タイ、日本それぞれで一つずつ用意し、無事プロジェクトが成功することを祈ろうと約束したのです。その後、タイのプロジェクトメンバー全員が集まった祝賀会を記録した動画が送られてきたのですが、そこには御守りが飾られており、みながプロジェクトの成功を喜んでいる様子が記録されていました。気持ちが通じ合ったようでうれしかったですね。単なる仕事上の関係だけではなく、お互いの国の文化も知り合うことができた。海外と協働して進めるシステム開発の魅力を改めて感じました。
04.MUFG Union BANKのシステム担当として米国に赴任。
協働プロジェクト推進の橋渡し役を担う。
現在私はMUFG Union BANKのシステム担当として米国に駐在しています。任務は、米国開発案件推進を支援することに加えて、本邦のシステムと米国のシステムの連携を強化するプロジェクトを日米間の橋渡し役となって推進することです。タイもそうでしたが、米国には米国の文化があり、プロジェクト推進のルールやスタイルがあります。自分にとっての常識が、そのまま通用するわけではありません。海外勤務は、経験できる人が限られているからこそ、自分がその国との協働開発、その業務エリアの第一人者になれる可能性が大きくなります。自分で直接情報を集めたり、物事の進め方を協議して決めていく必要があり、大変なことも沢山ありますが、そこから得られた情報、経験、スキルは何物にも変えがたい私の財産です。チームのメンバーに還元したり、次の業務に活かすことで、さらに良いシステム開発につなげられると思います。
これまでの仕事ではもちろん失敗もありました。しかしそれを通して、「自分に嘘をつかない」「謙虚であること」「信念を持って取り組むこと」を、仕事に臨む自分のモットーにしています。これからもしっかりと持ち続け、緊張感のある業務の中で、さらに成長していきたいと思っています。
馬場 裕人